書いてあることは、案外読まれない
その投稿には、最初からこう書いてありました。営業用のLPではないこと。口コミ中心で作ったこと。まだ改善の余地があること。
つまり「これは広告のための完成品ではありません」と、本人がちゃんと前置きをしていたわけです。
それでもコメントには、「LPとして文字が多い」「図解が必要」「視認性が弱い」という感想が並びました。
広告用のLPではないと書いてあるのに、広告用のLPとして評価されていた。前置きは、読まれていなかったということだと思います。
これは責める話ではありません。自分にも覚えがあるからです。人は、書いてある全部を読んでいるようで、実際には自分が気になるところだけを拾って、足りない部分は想像で埋めている。
SNSは特にそうで、情報だけが切り出されて流れてくるので、文脈は受け取る側が自分で補うことになります。
批判は、する人の物差しを映す
面白いのは、同じ投稿でも、見る人によって評価の基準がまったく違うことです。
- LPだと思って見る人は、LPの基準で測る
- デザイナーは、デザインの良し悪しで見る
- マーケターは、申し込みに繋がるかどうかで見る
- エンジニアは、技術的な作りで見る
同じものを見ているのに、出てくる感想は人の数だけ違う。ということは、その感想は対象そのものというより、その人が普段どんな物差しで世界を見ているかを映しているのだと思います。
もっと言うと、今回コメントしていた人たちは「営業用のLPとして文字が多い」と批判していました。でもそれは、本人が「これは広告のLPではない」と言っていたことを、結果的に裏づけてしまっている。
否定したつもりの言葉が、相手の主張をそのまま証明してしまうことがある。これはなかなか興味深い構造だなと感じました。
人は、足りない文脈を自分の経験で埋める
だから批判を読むときは、「自分の何が悪かったか」だけでなく、「この人は普段どこを見て生きている人なのか」も一緒に見えてきます。
全部を真に受ける必要はないし、全部を切り捨てる必要もない。どの物差しで言われているのかを分けて受け取るだけで、だいぶ楽になります。
自分も、説明を足したくなる時期があった
正直に言うと、自分も発信をしていて、反応が割れるとつい説明を足したくなる時期がありました。
「前提が伝わってなかったかな」と思って、注釈を増やす。誤解されないように、先回りして言葉を付け加える。
でも、やってみて分かったのは、前提を全部書いても、刺さらない人には刺さらないということでした。
そもそも前置きを読まずに反応する人に、前置きを増やしても届きません。むしろ文章が長くなって、本当に届けたい人にとって読みづらくなる。これに気づくまで、けっこう時間がかかりました。
相手を選ぶのは、逃げではなく設計
それで最近は、「説明を増やす」よりも、「誰に届けたいかを自分で決める」ほうを大事にしています。
全員に伝わる文章はないし、全員に好かれる発信もありません。だとしたら、自分が届けたい相手をはっきりさせて、その人に向けて書くほうがいい。
相手を選ぶというと、少し冷たく聞こえるかもしれません。でも実際には、届けたい人に集中するための設計だと思っています。
全員に向けた言葉は、誰にも届かない
批判をゼロにしようとすると、言葉はどんどん丸くなって、最後は誰の心にも残らないものになります。
誰に届けたいかを決めると、誰に届かなくてもいいかも決まる。その線を自分で引けるようになると、発信はずいぶん続けやすくなりました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。