気づいたら、すきまを埋めていた

その日のイベントでも、やっていたことは支部会のときと変わりませんでした。
意識して動いていたわけではありません。気づいたら、手が空いていそうなところに体が動いていた、という程度のことです。

あとになって、その場をつくっていた人から「すごく助かった」と言ってもらえました。
自分ではとくに何かをしたつもりはなかったので、言われて初めて「人から見ると、そう見えるのか」と、自分の輪郭が少しだけ見えた気がしたのです。

同じようなことは、これまでにも別の人から言われたことがありました。一度なら聞き流せますが、違う場所で、違う人から重なると、さすがに少し考えます。自分が当たり前すぎて気づいていなかっただけで、これはひとつの性質なのかもしれない、と。

もうひとつ。「あればいいのに」が止まらない

もうひとつ、自分でも意外だったことがあります。
人や場だけでなく、モノやサービスを使っているときも、つい「ここがこうだったらいいのに」という箇所に目がいってしまうのです。

最初に書いた「ほめボード」も、もとはこの引っかかりから生まれました。
もっとお互いに「ありがとう」を言い合えたらいいのに。そう思いはじめると止まらなくて、気づいたら自分で形にしていた、という感じです。

頼まれたわけでも、誰かに見せるためでもありません。足りていない部分や、もっと良くなりそうな箇所が目につくと、放っておけないだけなのです。これも昔からの性分で、自分では強みだと思ったことはありませんでした。

気になるから、つい作る側にまわってしまう

たぶん自分は、この「気になって放っておけない」性分のまま、ホームページやアプリの仕事をしているのだと思います。意識して身につけた技術というより、昔から気になってしまうだけです。

使う人の目線で、引っかかりそうな箇所が先に見える。それを自分の手で少しずつなくしていく。その繰り返しが、結果として人の負担を減らすことにつながっているのかもしれません。

2つとも、根は「観察」だった

家に帰ってから振り返って、ひとつ腑に落ちたことがあります。
すきまを埋めるのは、人と場の観察です。「あればいいのに」が止まらないのは、モノやサービスの観察です。別々のことをしているつもりでしたが、根っこは同じ「観察」だったのだと思います。

その日、小口さんのセミナーで聞いた言葉が、ちょうど重なりました。
「何も考えずにやってきたことこそ、自分の仕事だったんじゃないか」。
意識して頑張ってきたことではなく、気づいたらやっていたこと。そこに自分の輪郭が出る、という話でした。

強みは、資格や肩書きの中にあると思い込んでいました。でも自分の場合、いちばん自然に出ていたのは、誰にも頼まれていないのに体が動いてしまうことのほうでした。
それは特別な才能というより、引き算しても残ってしまう性分に近いのだと思います。

あなたにも、そういう「何か」はありませんか

この話を書いたのは、自分の強みを自慢したいからではありません。
むしろ、自分でも気づいていなかったくらいなので、まだ半信半疑です。

ただ、もし「自分には武器がない」「何が強みか分からない」と感じている人がいたら、ひとつだけ伝えたいことがあります。
頑張って身につけたことより、つい無意識にやってしまうことのほうを、一度よく見てみてほしいのです。人から言われて初めて気づくことも多いので、誰かの言葉を素直に受け取ってみるのもいいかもしれません。

自分はまだ、その正体を確かめている途中です。
同じように、自分の中の「何か」を探している人の、ささやかな後押しになればうれしいです。

場を貸してくれた小口さんと、気づくきっかけをくれたあの日に、感謝しています。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。